スタジオ☆ディーバ主宰 山口直也

<初めに>

先日、選挙ポスターの撮影について、読売新聞の取材を受けました。その時の記者は都議会の担当だそうで、来る選挙のために、候補者達がポスターの写真撮影に励んでいる中で、スタジオ☆ディーバが大変評判になっていると報告してくれました。その出来栄えが「別人に見える」位に素晴しいので、特にこれまで「写真写りの不自由」だった人達の「駆け込み寺」的存在になっていると言う事です。確かに、国選・地方選に限らず、スタジオ☆ディーバにも、政治家の方々、それを目指す方々が、本当に多くいらっしゃるようになりました。
今回はこの機に、「良い選挙ポスターとは何か?」−政治家の肖像を撮影する事― に関して、日ごろ考えている事や、今回取材を受けて思った点などを含め、少々述べてみたいと思います。
勿論、代理店が間に入り、例えば対立候補とは異なるイメージ戦略で行くとか、撮影時のコンセプトがすでに明確であれば、私も原則としてそれに沿って撮影していきます。しかし、殆どの場合、イメージもデザインも、出来た写真による「成り行き」という事が多く、そうなると、カメラマンの撮影コンセプトは非常に重要となって来るはずです。私の考える理想の選挙ポスター写真とは・・・

@「驕らず卑しからず」、転じて 「心貧しく、しかも毅然とあれ!」

まず基本的に、庶民の目線に欠けるようなイメージですと、大多数の有権者からはオミットされてしまうでしょう。特に女性候補の場合、華美になりすぎる衣装やアクセサリーは避けるべきです。あまり偉そうに見えるポーズも好ましくありません。もっとも公約が「王政復古による民主主義打倒!」とか「富裕層のための階級社会の徹底」とかですと、この限りではありませんが。
一方、みすぼらしいのもいただけません。「ボロは着てても心は錦」とは言いますが、表に出る職業の人は、身だしなみも人格のうちです。まして卑しい雰囲気を醸している候補者には、あまり期待が集まらないのではないでしょうか。
つまり、偉ぶってはいけないが、どこか清潔感というか立派なイメージが必要です。
当たり前の事だと思うかも知れませんが、これは実は、大変本質的な問題です。少し掘り下げて言いますと、医者、弁護士、その他社会の指導的立場にある人は、底辺の人々にも共感できる能力を持つと同時に、一般の衆生とは毅然と一線を画して、人々を導く何らかのスペシャリテが必要だと思うのです。少なくともそうあるべきだと、私は思っています。
例えば人類の救い主・メシアとして出現したイエスの家系は、殺人者あり、泥棒ありの、罪にまみれたご先祖達ですが、しかも同時に、イエス自身は処女懐胎により、通常の人間とは一線を画して出現したというのです。かくして共感と超越、救いと裁きのベクトルが十字架を形成するという、これは北森嘉蔵先生の「神の痛みの神学」の原点だと思うのですが、政治家にも同じ十字架が課せられていると思うのです。この際、裁きについてはいったん置くとして、この超越がなければ人を救う事はできないという点が大切です。そうでなければ「同じ傷をなめあう」という段階でとどまってしまうでしょう。

A知情意+α

ノブレス・オブリージュ(ノブリス・オブリッジ)という言葉があります。「高貴なる義務」と訳されますが、解りやすく言えば「高い地位に由来する当然の義務」という事だと思います。これについては作家の塩野七生さんが、かつてのベネチアの千年史で、その独特な共和制の物語の中で、生き生きと、しかも分かりやすく描いてくれました。当時は貴族がそうだったのですが、要するに生活に余裕のある者達が、政争や利権とは無縁に、共同体のために進んで奉仕するというモラル、また、そのようにして負うべき政治的ボランティアを意味したそうです。
民主主義の現代では、私はさらに経済的・社会的地位の高さではなく(そういう場合も依然存在しますが、選挙にお金が掛かりすぎるという問題を何とかしないと)、個人的な資質の高さに注目したいと思います。では、その資質とは何かと言いますと、誤解を避けずに非常に単純に言えば、「知情意+α」ではないかと思っています。

即ち、衆に秀で、混迷の世を正しく導く知性。
また弱者を救う心情、庶民の目線で共感し、未来に向かって共に歩む心。
さらに意志。不正・不公平を許さず、決然と改革を実行する意志、さらに行動力を含めます。
私たちはそんな「知情意」を求め、撮影では、少なくともそのいずれかの片鱗を表現したいと思っています。
そして最後に「+α」ですが、これは一種の感性といいますか、ある種の洗練というものだと考えています。政治は元来、マツリゴト、選挙はお祭りですから、選挙のポスターにも、どこか「ハレ」の感じが欲しいのです。それが若さ、清新さ、爽やかさだったり、またバイタリティーだったり、インパクトが強いと言う表現になることもあるでしょう。要するに何か「輝くもの」と言うのでしょうか、そういうものが欲しいと思うのです。
知情意のいずれかでスペシャリテが感じられ、さらに「ハレ」が表現された政治家の写真、私たちはそんな肖像を求め、日々精進しているつもりです。
以上述べた事、これらは全て総論です。では、そのために具体的にどう撮影するのか、と言う部分が各論と言う事になります。ここは、ディーバでもフィードバックを重ね、日々精進している部分です。衣装のコーディネート、ヘアメイク、ライティングやポーズなど。この各論の方が皆さんには面白いと思うのですが・・・今のところ企業秘密もありますので、いずれまたの機会に・・・

B選挙は公約よりも見た目?(政治家と写真との関係)

前記の新聞記事は「選挙は公約より見た目?」と問いかけ、ポスターのイメージ効果が得票率アップに結びつく事から、候補者達は公約よりも写真写りに汲々としていると断じ、「見た目九割の法則」の著者の「後で本人とポスターとの間に大きなずれを感じると、有権者は裏切られたと思うのではないか」という言葉で結んでいます。
そうなると、スタジオ☆ディーバも、有権者を騙す片棒を担いでいるのではないか、と言われそうな気がしてきます。
しかし良く考えてみましょう。
政治家の公約は必ず実現されるのでしょうか、否、むしろ世の中にはその反対事例に満ち満ちていると思います。選挙前は口当たりの良い事ばかりを言う。実際、選挙が終わると、あれっ、約束が違うなあ、どうなったの、という事が結構あるもの。では、その場合はどうでしょう。「後で本人の言動と公約との間に大きなずれを感じたとしても、有権者は裏切られたと思わない」、とでも言うのでしょうか。いや、強く思いますよね。
言葉は実態のない「彼方の園」から降ってきます。何とでも言えるのです。しかし、写真はそうは行きません。そこに写っているものは、そこにある素材以外のものではないのです。ディーバでは原則として修整をしていません。ディーバで撮影した方々は、撮影時に確かに輝いているのです。党利党略や、保身のための苦し紛れの公約よりも、余程真実だとは思いませんか? 
私たちは、その人が本来持っているよいものを引き出し、増幅し、「ハレやか」なポートレートに定着するお手伝いをしているのに過ぎません。
また日本には、姿を整えることによって心が宿るという「風姿花伝」の伝統があります。たとえ迷いや不安の中にあった方でも、それらを払拭し、自信を持って、来るべき明るい未来のヴィジョンを、描いて欲しいと思っております。すばらしい政治家の肖像があるのですから(自画自賛で申し訳ありません)。少なくともディーバに撮影にいらした方々は、皆、人物であったし、私は衷心より応援しております。

C余談:「王様の撮影スタジオ」

カメラの前に人は皆平等です。何か悪しきものを隠蔽しようとしても、心は表に顕れるもの。ごまかす事はできません。原則的に、どなたでもよく写るためには、心を善くしていただかねばなりません(あくまで原則的に・・・写真写りの良し悪しについては別の項でお話する予定です)。その意味で、カメラの前に人は皆平等であると言えます。さらに、スタジオ☆ディーバは、撮影についてもお客様はみな平等だと思っております。
過日、さる大臣の秘書から電話が入りました。「これから大臣が行くからスタジオを全て空けて待っておれ」という趣旨の電話でしたが、少々横柄な感じです。多分急いでいたのだと思いますが。その時は「一般の方の予約が入っていますので、普通に予約をとってお越し下さい」と言ってお断りしました。実際その通りだったのですが、人間の尊厳に寡多は無いというのがディーバのモットーです。
三谷幸喜さんのドラマで「王様のレストラン」というのがあります(山口智子さんgood!)。先日、そのDVDを見ていたのですが、松本幸四郎さん扮する伝説のギャルソンに「お客様はみな王様です。料理の前に人は皆平等です。」という台詞がありました。ある時、公務で使用したそのレストランを大臣が気に入り、秘書が大臣のために予約を入れようとします。指定の日の午後、貸切にしておくように、と言いますが、あいにく一般のお客様の予約が一組入っていました。それは大臣のガードマンが家族と来たいと思って、大臣より一足早く予約してしまったのです。伝説のギャルソンは「お断りするしかありません」と言います。秘書は気色ばんで「自分が何を言っているのか分かっているのか」と。
これを見ていて、事実はドラマよりも奇、いや、ドラマと同じくらい奇だなと感じ、思わず笑ってしまった訳です。もっとも、スタジオ☆ディーバには、タレントさんや女優の方、有名な文化人の方々も訪れますので、ファンサービスを強いられ、撮影に差し障りが出てしまう事もあるもので、スタジオの一つを貸切にする事ができるようになっています。それでも、予約は一般の方と同様に入れていただいており、他の方をキックアウトする事は決してありません。

これは、「スタジオ☆ディーバ」のヘアメイクや撮影に対する所信、基本態度についての表明ですが、さて、実際の撮影の現場となると、かなり苦戦したり、冷や汗をかいたりした事も多々あります。身内意識もあるのか、楽屋落ちというべきか、スタジオの中にはいろいろな「機密」情報が飛び交うのですが・・・・まあ、「それはまた、別の話」。

差し支えの無いエピソードは、スタッフブログの方に書きますので、興味のある方はそちらをどうぞご覧下さい。最後に現在の、また「これからのポスター写真の傾向」という関係で、ちょっと面白い実験を報告します。

D終わりに:今後の傾向は二極化か

以前、3年以上前になりますか、TBSの番組がスタジオ☆ディーバに取材に来ました。「当選するポスターを作る」という企画です。貫禄のあるシニアモデルさん達が6人程、実際にディーバに来て、ポスター用に写真を撮影しました。それをデザイナーがポスターに仕上げ、公約は皆同じものにして、見た目で誰に投票するのかを、街頭の人々にアンケートする、という企画です。つまり浮動層の人達が、見た目でどのように判断するのか、という興味深い実験です。ポスター画像は、選挙コーディネーターの意見を参考にしながら、それぞれコンセプトを設定して撮影しました。
「爽やかでよい人そうに」、「穏やかで貫禄ありそう」、「バイタリティーのある感じで」、「ダサイ感じで」とかです。さわやかで洗練されて笑っているやつは1番狙いで作ったものでしたが、狙ったとおり得票を重ねました。しかし、この街頭投票で意外な事が起きました。わかり易く、はずしたバージョンを一つ作ったのですが、これは眼鏡が光っているわ、曲がっているわ、ネクタイも曲がってスーツはサイズがあってないわ、表情も怖いというもので、デザインも古臭くして、スタッフ一同はダントツの最下位を予想していたのです。ところが、いざ蓋を開けてみると、これが何と2位。堂々の2位になりました。どのようにこの結果を放送したのかは忘れてしまったのですが。
画像をご覧下さい。これが1位の写真(セレブクラブ)と僅差の2位の写真(最低新党)です。勿論、公約やデザインは番組のものとは違います。うちで作ったパロディーですので、悪しからず。
考えてみればこの頃から、とにかく笑顔でと言われていたポスター写真の表情が、多少変化してきたと言うか、二極化して来た感じがします。爽やかで清潔で善い人そうなものと、その対極の、強い意思でやる気を現すもの、という感じです。つまり、世界的な傾向かもしれないが、変革、チェンジを求める風潮が背後にあるのかも知れません。強い指導力で現状を変えてもらいたい、というような人々の願いが反映しているのでしょう。これが3年半ほど前ですから、現在はさらにこの流れが加速している事が考えられます。時代と共に価値観も変わってきますし、政局によってはドラスティックに求められる人物像が変化する場合もあります。つまり「よい選挙ポスター」もその表現が変わって来る部分がある訳です。前記したような本質の部分は不変なのですが、テイストについては、十年一日で同じような撮り方をしているわけには行かないのです。
そういった点に柔軟に対応できるのも、CMを手がけてきた「スタジオ☆ディーバ」の強みだと考えています。

そういう訳ですので、この日本を、あるいは地域社会を良くしようという願いを持つ方々、選挙、その他の写真はスタジオ☆ディーバにお任せあれ! 撮影料金は有名写真館とは、リアルに言って桁違いに安いのですが、どうか心配しないで下さい。写真は最先端です。
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